論文|THESIS

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映像文化の創出:京都「記録映画を見る会」の活動を振り返る
第2部:見たい映画を作る:後期における『西陣』の自主制作

Creation of New Culture: Activities of "Kiroku-eiga wo miru kai", Kyoto
Part 2: Making films: independent production of "Nishijin" in the late period


山之内 誠

MORISHITA, Akihiko Professor, Department of Plastic Arts, School of Progressive Arts



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はじめに

既に本論考の第1部、「見たい映画を見る:初中期の自主上映活動とその頂点としての『戦艦ポチョムキン』上映」の中で、「記録映画を見る会」の時代変遷を4つの時期に大別した。第1部では1955年5月30日の第1回上映会から、1960年の初頭までの3つの時代区分を扱った(「神戸芸術工科大学紀要 芸術工学2008」、http://kiyou.kobe-du.ac.jp/08/thesis/05-01.html)。特に第3期における、多くの障壁を乗り越えての『戦艦ポチョムキン』の日本初公開(京都では1959年4月24〜25日)は、この会の設立の理念の具現化の1つの頂点であった。

1960年前後といえば安保闘争に代表されるように、この国が第二次世界大戦後における最大といって良い政治危機を迎えた時である。「記録映画を見る会」の動向もそうした日本の政治状況の影響を受けないわけにはいかなかった。とはいえ「記録映画を見る会」はその独自の理念を抱いていた。1960年以後の第4期、「記録映画を見る会」は一方で全国的な自主上映を行った成果とも考えられる他地域の団体との連携を進めていく。他方で当初からの運動の目標の1つであった自分たちの映画を制作することに実際に取りかかり、「1本」の作品、『西陣』を誕生させる(1本、に鉤括弧を付けた理由は会の事務局長、浅井栄一のある文章に由来する(*1))。同時に映画だけでなく他の多くの芸術ジャンルを包含しつつその活動の幅を拡大し、いわば総合化していく。

しかし、『西陣』(完成の翌年1962年7月、第13回ヴェネツィア国際映画祭記録短編映画部門で「銀獅子賞」を受賞)の制作途中から完成後にも生じた様々な問題によって、「記録映画を見る会」の屋台骨が揺らぐことになり、やがて会は消滅へと至った。

既に第1部でも確認しておいたが、2部構成の本論のねらいの1つは「記録映画を見る会」の辿った足跡を記録しておくことであり、この第2部においてもその作業は引き続き行われる。特徴的なのは「記録映画を見る会」の第4期は比較的短期間の間に、別な文脈に属する複数のことが同時並行的に、かつ互いに関連しあいながら生じている点である。時間を行きつ戻りつする記述に注意されたい。

その上でもう1つの意図を実現したい。つまり「記録映画を見る会」という過去の事例の分析を通して、現在の私たちが謳歌している映像文化を改めて考え直すための知見を得ることである(第1部「はじめに」参照)。会の発端となった「生活記録の運動」、自主上映を通しての経験の蓄積、映像による現実記録の意味についての理解の深化、作品と社会との関係といった交錯する多種多様な論点から考察を行っていきたい。

なお、この第2部は『西陣』に関する文献は十分に存在するが、「記録映画を見る会」後期の活動を記録した資料が少なく、その点第1部と比べて幾分か実証性に乏しいことを予めお断りしておく。第1部執筆時に約束しておいた「記録映画を見る会」の上映会毎の全貌をまとめた年表(日時/会場/上映作品リスト/講師/その他)については現時点ではなお正確を期しがたく、後日の宿題となったことをお詫び申し上げたい。


 

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浅井栄一[完成した二本の映画――『西陣』をめぐる諸問題――]、「記録映画」、1962年2月、P. 26-29