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図26 ケンペル、申維翰、シーボルト、リヒトホーフェンの航路(推測) (作成:木下怜子,2007)

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図26 ケンペル、申維翰、シーボルト、リヒトホーフェンの航路(推測)
(作成:木下怜子,2007)


図27 調査を行った文献資料 (作成:木下怜子,2007)

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図27 調査を行った文献資料
(作成:木下怜子,2007)


図28 ケンペルが利用した船 (引用:ケンペル,『日本誌』下p.161*4)

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図28 ケンペルが利用した船
(引用:ケンペル,『日本誌』下p.161*4)


図29 シーボルトがみた兵庫津 (引用:シーボルト,『日本』図録第2巻 II第19図*1)

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図29 シーボルトがみた兵庫津
(引用:シーボルト,『日本』図録第2巻 II第19図*1)


図30 シーボルトがみた関門海峡 (引用:シーボルト,『日本』図録第2巻 II第15図*1)

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図30 シーボルトがみた関門海峡
(引用:シーボルト,『日本』図録第2巻 II第15図*1)


図31 シーボルトがみた上関の港 (引用:シーボルト,『日本』図録第2巻 II第20図*1)

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図31 シーボルトがみた上関の港
(引用:シーボルト,『日本』図録第2巻 II第20図*1)


図32 ケンペルがみた室津 (引用:ケンペル ,『日本誌』下 p.161*4)

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図32 ケンペルがみた室津
(引用:ケンペル ,『日本誌』下 p.161*4)


図33 シーボルトがみた室津の室明神 (引用:シーボルト ,『日本』図録第 2 巻 II第21図*1)

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図33 シーボルトがみた室津の室明神
(引用:シーボルト ,『日本』図録第 2 巻 II第21図*1)


図34 シーボルトが室明神から眺めた瀬戸内海の風景 (引用:シーボルト ,『日本』図録第 2 巻 II第21図*1)

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図34 シーボルトが室明神から眺めた瀬戸内海の風景
(引用:シーボルト ,『日本』図録第 2 巻 II第21図*1)

2.シーボルトらがみた江戸中期〜明治初期の瀬戸内沿海景観の特性

2−1 文献調査の概要

瀬戸内海が最も繁栄していたとされる江戸時代の瀬戸内海の風景や景観は、日本人だけではなく多くの外国人によっても記録されている。特に、本研究で取り上げるシーボルトの記録は、植物学・地質学等の複合的かつ科学的な目線で詳細に記録・評価がなされており、研究資料として非常に有用性がある。また、江戸〜明治期にかけての外国人による瀬戸内海の景観評価手法は、現代の、瀬戸内海景観を科学的に把握し評価する手法の基礎となっており、過去と現在で同じ目線での比較が可能となる。

以上の背景から本研究では、ケンペル、申維翰、シーボルト、リヒトホーフェンらの記録から、江戸鎖国期から明治初期にかけての瀬戸内沿海景観の把握と、彼らの瀬戸内沿海景観の把握構造を考察することを目的としている。

目標達成のために、文献調査で取り上げる資料は以下の通りである。

瀬戸内沿海景観に関する外国人の記録は、これまでに私たちが確認したものだけでも29名32タイトルに及ぶ(図27)。本研究では特に、瀬戸内沿海景観の固有価値を再評価する指針として、ドイツ人医師フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(Philipp Franz von Siebold:1796-1866)の記録『日本 第1〜3巻、図録第1〜2巻(フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト 中井晶夫他訳:雄松堂出版:1977〜1978)』、『江戸参府紀行(ジーボルト 斎藤信訳:平凡社:1967)』、『シーボルト日記(シーボルト 石山禎一他訳:八坂書房:2005)』を取り上げ、彼が巡った瀬戸内海の航路と、その際に評価し記録した固有性を持つ瀬戸内各地の文化景観の抽出を行う。

また、シーボルトの記録を補完する目的で、シーボルト以前、17世紀に江戸参府を経験したドイツ人医師エンゲルベルト・ケンペル(Engelbert Kaempfer:1651-1716)の『日本誌 上下巻(エンゲルベルト・ケンペル 今井正訳:霞ヶ関出版:1989)』、『江戸参府旅行日記(ケンペル 斎藤信訳:平凡社:1977)』、18世紀に江戸参府を経験した朝鮮通信使制述官・申維翰(シン・ユハン:1681-?)の『海游録(申維翰 姜在彦訳:平凡社:1974)』、明治維新直後に3度にわたって来日し日本を調査したドイツ人地理学者フェルディナント・フォン・リヒトホーフェン(Ferdinand Freiherr von Richthofen:1833-1905)の『支那旅行日記 上下巻(リヒトホーフェン 海老原正雄訳:慶応出版社:1943)』についても同様に調査を行い、シーボルトらがみた瀬戸内沿海景観の固有価値を把握する。以上の文献に加え、明治時代に発行された地形図も参考資料として利用する。

2−2 文献調査による江戸中期〜明治初期の瀬戸内沿海景観の分析

2−2−1 分析の対象地と方法

本稿では、(A)兵庫津、(B)室津(たつの市)、(C)日比・向日比、(D)鞆、(E)阿伏兎岬、(F)牛ヶ首崎(屋代島)、(G)上関海峡(室津・上関)、(H)関門海峡、の8地域を対象とし、シーボルトらが把握した瀬戸内沿海景観を分析する。景観の分析は、第1章と同様の手法を用いて、それぞれの景観に当たる記述を文献から引用してデータを分類していく。引用箇所のページ数を文献番号の後に示す。

 

2−2−2 室津(たつの市)を例とした瀬戸内海景観の分析

1)沿海景観

(1)海域

「前湾は水濶く(〜中略〜)四方を眺むれば、奇勝が客の感懐をすこぶる爽やかにしてくれる*2(p.104)」

(2)居住域

「館宇は敞麗*2(p.104)」

(3)生産域

記録なし。

(4)森林

「常緑の梢*3(p.384)」

「山は俊しくて雲霞ただよい*2(p.104)」

(5)背景

記録なし。


2)土地利用と住居集合

(1)海域

「碇泊場は、それほど広くはなかったが、どの方向から強い風が吹いても、波が高くなっても、安全な場所 *4(p.228)」「岩石で護岸工事をしてある半月状の海岸*4(p.228)」

(2)居住域

「大きさ七町、家数六百戸、人口千八百−二千*3(p.387)」「室の港は東北に入り曲がっている狭い入江からなり、その奥の方に小さい室の町が広がっている。入江の入口の右(東側)の岩の上に番所があり、その下の巨大な石で築いた石垣の上には、港の入口を掃射する砲台*3(p.379)」「小さいが暴風にさらされない*3(p.379)」

「爽快な山手へ伸びている町である。海岸に沿って長い狭い通りが1本と、周りの山手へ通ずる数本の短い裏通りや横丁があり、合せて約600戸の人家がある*4(p.228)」

(3)生産域

記録なし。

(4)緑地

「数本のマツが生えた岩の多い岬*3(p.379)」/シーボルト

「高い樹木がこんもり茂り、半島のような形をして港の入口に連なっている2つの林苑*4(p.228)」「丸く盛り上がった山の地肌は岩*4(p.228)」


3)営みと生活文化

(1)海域

港には、五十隻以上の船が並んでいた*3(p.379)」「湾口のすぐ近くにたくさんの小島や岩礁が散在していて、六つまでは数えることができた。入港する船はそれらを左舷にみて過ぎ、その上手に出てからはじめて針路をかえて湾口へはいる*3(p.380)」

「港内に碇泊している他の100隻余りの船*4(p.227)」「150隻の船が入っていて、そのため、それほど広くない湾内は船で一杯だった*4(p.366)」

「丑初の刻(午前二時頃)に、纜を解いて出発した。群倭の護衛船が大小あわせて千艘に近く、それぞれ四、五燈を燃やし、その燈光は海に満ちた。三使船はそれぞれ火箭をもって相応じ、鼓角をいっせいに鳴らし、星河も動揺し、あたかも伏波将軍が交趾を撃つために南下したときの光景もさもありなんと思わせる*2(p.105)」

(2)緩衝域

記録なし。

(3)居住域

「室の住居は非常に快適*3(p.131)」「番所の前には羽根飾りのついた十本の槍と両側に四本ずつの鞘をつけた普通の槍が立ててあった*3(p.379)」「二つの湾を見渡すことができ、海を望む広々とした眺めがひらけていた*3(p.380)」「二、三の商店のほかにはほとんど人目をひくような家はなかった。そして住民たちの住いが裕福でないように見えたのは意外*3(p.381)」「木造のこの塔は建築術上の真の名作である。つい最近建てた(※室明神の三重塔のこと)*3(p.383)」「監視所と二つの番所の守備兵力は少ない。一方の番所は室明神の社の下に、もう一方はもっと東の宍粟川の河口近くの山上にある*3(p.386)」「通りは非常に清潔というほどではないが、それはたくさんの皮革工場、酒の醸造、それからそこらをぶらついている多数の舟乗りのせいだと思う*3(p.387)」
「町の住民は、大体酒造家、宿屋、小商人等、大勢の船乗り相手に豊かな生業を営む人々であり、この他にロシア風に馬の皮を鞣し、これに漆をかけて仕上げる皮鞣し職人がいる*4(p.228)」「長崎の丸山に類した遊郭が町の収支で経営されている*4(p.228)」「地上かなり高く築き上げられた円筒形の物見櫓や番所、藩士の住居に当てられている瀟洒な家屋等が建てられていた。港の西側に当る入口近くに砦があり、装備した見張所が設けられていた(〜中略〜)10本の槍と5本の鉾がきちんと並べられていた(〜中略〜)そこは障壁と門によって町と区割されていた*4(p.228)」。

(4)生産域

記録なし。

(5)緑地

「人目を楽しませる最も美しいものは、頂上まできちんと階段状に耕した段々畑の周辺の山々*4(p.228)」

2−3 文献調査による江戸中期〜明治初期の瀬戸内沿海景観の特性と当時の空間把握の構造に関する考察

本章では、(A)〜(H)の対象事例のうち、(B)室津(たつの市)を事例に挙げて、シーボルト、ケンペル、申維翰、リヒトホーフェンらが把握した瀬戸内沿海景観を分析し、その具体的な内容を紹介してきた。

そして、8地域の景観分析の結果、1)沿海景観、2)土地利用と住居集合、3)営みと生活文化、の3特性について次のことが明らかになった。


1)沿海景観

(1)海域では、海上を行き交う無数かつ多種類の船や海の色、海岸から聳える山、水路のシークエンス等を把握した。陸に目を向ければ、(2)丘の上の社寺や仏塔、館等の航海の目印(目標)となる建築物や(4)その背後の丘や山、そこに漂う雲霞と(5)更にずっと後ろの連山を把握している。


2)土地利用と住居集合

(1)湾内では、港に入るときの目印になる燈台や、港の形や規模、港を守る石造の防波堤や埋立地(平氏によるもの)を含む護岸整備を把握した。(2)まちは、港を取り囲むまちの様子や、その中でもとりわけ目立つ寺院、神社、番所、砲台、楼閣の白壁、崖などの建築物や地形を把握した。(3)居住域の背後の生産域では段々畑を、(4)緑地では、山が頂上まで生い茂る姿や、岩肌などを把握していた。


3)営みと生活文化

(1)海域では、湾内に停泊する船の種類や帆のカラーリング、小船の雑音や櫂音の他、沿岸の漁法など、(2)沿岸部が砂浜となっている場所では、砂浜での船の修理や造船を把握した。(3)まちの中では、それぞれの場所において、詳細にまちの様子を記録しており、例えば、通りや通りに面して並ぶ商店や工場、酒造屋や宿屋、遊郭や漁家、民家などの建物群、村に植えられている植物、人々の服装や行動を把握した。また、まちを海域からとまちの中から見て家屋の比較をしたり、(4)日比の塩田では、ヨーロッパの工業都市で働く人々と日本の塩田で働く人々の人間的な豊かさを比較した。町の背後では段々畑とそこに植えられている植物を、(5)緑地では松やミカン、ツバキなどの植生を把握していた。

2−4 シーボルトらがみた江戸中期〜明治初期の瀬戸内沿海景観の特性

以上の分析・考察から、シーボルトらがみた瀬戸内沿海景観のまとめとして次の4項目を挙げる。


1)沿海景観

海域において、水路のシークエンス体験以外に、対象地域から遠く離れた地点から、島嶼・陸域の山々や丘の上の社寺や仏塔、館などの、航海中の目印(目標)となる建築物やその背後の丘や山の段々畑、そこに漂う雲霞と更にずっと後ろの連山を把握している。


2)土地利用と住居集合

湾外では、港に入るときの目印になる燈台や港の形や規模、港を守る石造の防波堤や埋立地を含む護岸整備を把握したほか、まちが港を取り囲む様子や、その中でもとりわけ目立つ寺院、神社、番所、砲台、楼閣の白壁、崖などの建築物や地形を把握した。居住域の背後の生産域では段々畑を、緑地では、山が頂上まで生い茂る姿や岩肌などを把握している。


3)営みと生活文化

湾内や沿岸部、居住域においては、船や人々の生活感や賑やかさを把握しており、かつての、人々の屋外における日常生活が活発であり、貧しさや清潔さの違いこそあれ、シーボルトらがそれを好ましく受け取っていたことが分かる。


4)瀬戸内海景観の把握構造

「沿海景観」から「営みと生活文化」まで、対象地域の遠く離れた地点から徐々に、まちや集落に近づいてくると、そこが森や畑や港や社寺などのどのような要素によって構成されているかを把握し、次にまちや集落の中に入れば、人々の生活やそこにある物資を把握するように、瀬戸内沿海景観の空間を連続的かつ段階的に把握していることが分かる。


 

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「日本」図録第2巻:フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト 中井晶夫他訳:雄松堂出版:1978
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「海游録」:申維翰 姜在彦訳:平凡社:1974
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「日本」第2巻:フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト 中井晶夫他訳:雄松堂出版:1977
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「日本誌」下:エンゲルベルト・ケンペル 今井正訳:霞ヶ関出版:1989
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