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1−2 和田家住宅について

和田家は、白川村の合掌づくり集落の中で最大の規模を持つ住居建築であり、荻町の最北端に位置する(写真1)。荻町和田家は天正元年(1573)以来、代々弥右衛門の名を継ぎながら、江戸時代には庄屋や番所役人を務めるとともに、白川郷の重要な現金収入源であった塩硝の取引によって栄えた。明治21年に市町村制の公布により白川村が誕生した際、和田弥右衛門は初代の村長を勤めた。

和田家住宅は江戸初期に建てられ、式台付きの玄関など格式高い造りをもつ。白川村の代表的な合掌建築であり、日本における大型木造住宅の典型を示す。厳しい地形と気候風土の中で養われた特色的な生活を今日に伝えて、1995年には国の重要文化財に指定された。

写真2 和田家の北面に防風林、西面に玄関があり、東面には生活空間が増築(2008.7.19)

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写真2 和田家の北面に防風林、西面に玄関があり、東面には生活空間が増築(2008.7.19)

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写真2 和田家の北面に防風林、西面に玄関があり、東面には生活空間が増築(2008.7.19)

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写真2 和田家の北面に防風林、西面に玄関があり、東面には生活空間が増築(2008.7.19)

荻町は、南北に延びた細長い谷間の平地に立地し、谷間に沿って吹き抜ける強い北風のため、大きな屋根の面は風に飛ばされないよう、みな東西方向に向けられており、入口が長手側に設けられた平入形式である。

荻町最北端に位置する和田家住宅は、北側に防風林が設けられ、玄関出入口は西面に二つ設けられている。一重・三階の大型合掌づくり民家で、その空間構成をみると、一階の北側には、玄関、仏間、デイ(以下客間)、奥のデイ(以下奥の客間)など格式を備えた接客空間があり、南側にはいろりを設けた大広間、居間、寝間、台所、便所など日常生活の空間が設けられている(図1)。二階の空間はアマと呼ばれ、夏は養蚕、冬は穀物や栗、栃その他の貯蔵に使われており、三階はソラアマと呼ばれ、屋根に葺くための茅などの倉庫として使われていた*2。養蚕の場所として使われた二階は、南と北面に大きな明かり窓が設けられ、明かりと風を取り入れるための知恵が見られる。その床面には木の板が大きく隙間を空けて敷かれており、階下のいろりから立ち上がる暖気により、その生業の維持のための適温が保たれていた。また、いろりの煙により、屋根を支える木の柱や屋根に葺かれた茅が黒く燻され、乾燥・防虫の効果が得られた。

図1 和田家の一階の間取り図(『昭和49年度白川村荻町伝統的建造物群保存地区調査報告書』所載の図をもとに作成)

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図1 和田家の一階の間取り図(『昭和49年度白川村荻町伝統的建造物群保存地区調査報告書』所載の図をもとに作成)

    

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江馬三枝子『飛騨白川村』未来社、1996、p164