2|コンセプトワーク 

2−1 状況の整理

「出会い」をテーマに長さ(奥行) 12m × 幅 2.4m × 高さ 2.5m の 40ft ドライコンテナの内部に作品を展開する。これがコンペティションの主な規定である。私が在籍した頃の東京芸術大学油画専攻は、現代美術的なアプローチをする者が多く、私の卒業制作もFrank Stellaに影響を受けた立体作品である。(中退だが、卒業作品は提出している)ゆえに、いわゆる現代美術的な試みの経験がないわけではない。しかし、参加を決意したものの近年は、アニメーション制作に集中しているので、この特異な空間をどのように構成するべきかというアイディアを考案するには、今までの私にはない試みが必要だと感じた。コンテナ内で、映像を流すだけでは、単なるシアターとしてしか機能しない。観客席がただの余白ではつまらなく思えた。したがって、コンテナ空間そのものを余すことなく何らかの装置として機能させる可能性について考えた。すぐに思いついたのはコンテナをある種の工学装置として作り変えるといった方向性である。コンテナそのものを、カメラや万華鏡のような装置として機能させる仕組みを作るという考えだ。しかし、この方向性においての実績に乏しく、不確定な要素が多過ぎるので審査員を納得させることは不可能に思えた。振り返ってみれば馬鹿げたことにも思えるが、このような思考を経た結果、ようやく3DCGアニメーションを用いることを決定する。単なるシアターにならないようにする工夫も忘れてはいけない。こうして「何らかの装置と映像を組み合わせる」という方向性が決定する。

図2 「ハヌメの実」イメージグラフィック

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図2 「ハヌメの実」イメージグラフィック

2−2 映像内容の決定

映像の内容は、個人研究制作との兼ね合いもあり、現在制作を進行しているアニメーション作品「ハヌメの実」(図2)に登場する主人公を用いることとした。このコンペティションのためだけにキャラクターを考案するほどの余裕はないし、いずれ完成させねばならない課題でもある。また、一般的に映像作品ではキャラクターを等身大で表現するということにこだわらないが、こういった機会であれば、実現できると考えた。(映像であることに変わりはないが)できれば通常の映像の枠を取り払ったところで、自らのキャラクターと出会いたいという気持ちもあった。そして、このことはテーマである「出会い」とも符合するように思えた。従って映像を再生するスクリーンは、コンテナの高さを最大限に使い切るサイズとした。

2−3 装置を仮定する。

アートインコンテナの会場は、メリケン波止場であり、そこに配置されたコンテナに不特定多数の観客が出入りすることは予想できる。大きなスクリーンや再生装置の保全が必要だろう。また、大学の廊下で上映実験をしたところ、観客がスクリーンに接近しすぎるとピクセルが目立ち過ぎるうえ、他の観客の妨げになることにも気付いた。そこで、スクリーンから2m程度の距離に障害を置き、制限を設けたいと考えた。こうして檻というキーワードが浮かぶ。予想される情景をスケッチするなどして、イメージを膨らませてみることにする。

写真2 実際の展示風景

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写真2 実際の展示風景

写真3 檻からスクリーンまでは、2mの距離を確保している。

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写真3 檻からスクリーンまでは、2mの距離を確保している。


2−4 装置の妥当性を検討する

檻に関する考察を深めてみることにする。檻という装置からイメージできるものの代表として動物園を挙げることができる。私の場合には、天候や時刻の関係でほの暗い獣舎に戻された猛獣が行ったりきたりを繰り返すのを、過剰な檻の隙間から覗きみた記憶が鮮明だ。狭い空間に押し込められた肉体に同情する感情。そういったことを想起する。実際に動物たちが、どのような感情であるのか、あるいは、そもそも感情があるのかすら推し量る術は私にはない。人間が思うほどにはストレスを感じることなく、平然とその信じられないほどの窮屈さを受け入れている可能性もある。しかし、そういったこととは関わりなく、それが我が身であればどれほどの苦しみであろうかと想像する人は少なくはないだろう。中には、動物の観察という本来の目的以上にそのことを強く捉える人もいるかもしれない。つまり、人間は檻を覗き込み動物を見ることによって、想像をふくらませ、その境遇に一方的な共感を覚える。自分のこととして考えることができる。確かに動物は見ているが、一方で自らを投影し、それを見ている。このように考えたとき檻という構造は、非常に興味深いものである可能性があることに気づく。

2−5 映像内容の妥当性を検討する

私は、人間の心の状態をキャラクターとして視覚化することをひとつのテーマとしている。デザインする場合には、きわめて特徴的であることを要求する。そのために、わざわざ相容れないような要素を組み合わせる。そのうえで、キャラクター全体のフォルムを美しく構成しようとあれこれ思案することに心が躍る。Hanume(花女)は植物と女性の融合をテーマとしたキャラクターである。「ハヌメの実」の中では、動的であるが知恵のないもうひとつのキャラクター、Quon(頭部にくぼみがあり、そこにハヌメの実を乗せないと言語すら理解できない。考えることをせず、力にのみ頼る人間のある傾向を象徴する者として描く)に対立する静的な知恵ある存在。思慮深いが、それゆえに行動に移せないQuonとは逆の傾向を象徴する者である。これを、檻の中に配置することで、どのような感情が起こるのかを想像してみた。そこに映し出されているものが人間に似て非なる者であれば、鑑賞者から一層の想像力を引き出せる可能性があるのではないかと考えた。映像に動物に抱く感情以上の思い入れができるのかといえば、それは疑わしいが「心を覗き込む窓」あるいはHanumeを原母的なものに見立てて「意識と無意識の境界線」などと位置づけることができれば楽しいと考えた。

2−6 映像内容の妥当性を検討する

文章にしようとすると理路整然と考えた様に見えるかもしれないが、実際はずっと混沌とした印象が残っている。しかし、一時審査を通過して実際に制作することになっても、現実的かつ意欲を持って取り組める形にはなった。この計画を、これまでの映像作品をまとめたものと共に提出する。一時審査は通過し、実制作の運びとなる。 


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