7 生成りの造形について

 新子氏の杓子の特徴として、荒削りで素朴なという印象がまずはじめにある。艶やか、和風といった美とは異なるプリミティブな生成りの造形である。製作工程と使用する工具の形状を知り、また鉈を振りおろして切削音とともに木片を飛び散らす製作の様子を目の前にし、さらに、山から山へ渡り歩いた経験談を聴くことで、その造形の生まれる必然性を感じ取ることができる。
 新子氏の杓子は、テンプレートのような「型」を使わずに製作しているにもかかわらず、熟練の技で形がほぼ揃っている(写真3)。仮に「型」を使って寸分違わない杓子を作ることは、新子氏の技量からして容易なことであるが、そうするとおそらく生成りの造形は失われるだろう。「生成り」とは、生地のままで飾り気のないことという意味でもあり、また一本一本の木が持つ癖を指すこともある。栗の生木は、柔軟で扱いやすいため、手を加えすぎたり、また安易に成形してしまうとかえって材料の持つ生命感は失われる。形が仮定されたとき、これを求め試みる手に対して、材料がその抵抗を通じて解決の方向を与える。「型」を使わない新子氏の場合、杓子の形は素材の中にありそれに従うことで生成りの造形が実現していると考えられる。
 今日の木工に関する製作技術の方向性として、電動工具による高速回転による切削加工が主流になっている。木を素材にして製作する場合、木の繊維の流れと形は密接な関係があり、強度、加工性、仕上がりすべてに影響する。高速回転により一回の切削量を小さくして、繊維の流れに左右されず加工面をなめらかに仕上げる方法は、平易で効率的なことにより、ほとんどの木工製作の場で採用されている。中には手作り風、民芸調として、機械で成形した後、仕上げに刃物の跡を意図的につけるやり方をしていることもある。大がかりな機械や電動工具を使用しない場合、新子氏の杓子づくりにみられる割り加工や、鉈、ナカウチのような重量のある手工具による加工は、技術と経験を持つ職人にとって最も合理的な技法といえる。リアリティーを欠いた単なるスタイルとして刃物の痕跡を残す製作姿勢からは、木の抵抗感をよりどころとした生成りの造形の実現は不可能に近い。
 わが国では、古代から平安初期までは、「木材=神仏が宿る神聖な素材」と考えられていたようである。古代の神社や仏像の造形からは、自然崇拝の思想を垣間見ることが出来る。同じく新子氏の荒削りな杓子からは、古代のアニミズム芸術や江戸時代の仏師円空作の仏像などが想起される。木樵は木を倒すときに宗教的な儀式を執り行う風習があるようであるが、新子氏からは木に対する信仰のような話はあえてなかった。


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