3 本当に必要なもの

(1)バリー・グッドマン氏

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写真1 バリー・グッドマン氏

 CWがエコ・ビレッジとしてスタートしたのは1988年。70年代にパーマカルチャーを体系化したビル・モリソンの最初の弟子マックス・リンデガー、建築家のジェフ・ヤング、科学者のロブ・タップ、そして元エンジニアでビレッジのインフラを含むグランドデザインを担当したバリー・グッドマンの4人により開発された。
 今回の取材では、創立メンバーのひとり、バリーにビレッジ内を案内してもらうことができた。(写真1)。


 バリーはオルタナティブな生き方を実践する、自称「裸のヒッピー」だ。彼は、1970年42歳で、それまでの電気技師としての灰色の生活に見切りをつけ、すべてを捨てファーマーになった。そしてタオイスト。61年には1ヶ月間だが、日新電機の高電圧チェックの仕事を、京都・大阪方面でしていたこともある。
 ヒッピー。この甘く自堕落な響きを持つ若者文化の集団は、69年8月、愛と平和の祭典「ウッドストック音楽祭」で、最後のあだ花を咲かせようとしていた。相前後して狂気のテート・ラビアンカ事件が勃発。26歳のハリウッド女優、シャロン・テートが友人4人とともにビバリーヒルズの自宅で惨殺された。シャロンはロマン・ポランスキー監督の妻で、このとき妊娠8ヶ月の身重なからだだった。これが第1の事件、シャロン・テート殺人事件である。翌日、レノ・ラビアンカ夫妻が同じ手口で虐殺。2ヶ月後に両事件の主犯格の男が逮捕された。彼の名はチャールズ・マンソン。新興宗教まがいの教祖として人気を博す、元ヒッピーだった。
 年の瀬。オルタモント・スピードウェーの特設ステージでローリングストーンズのミック・ジャガーが熱唱するさなか、またしても殺人事件が起きた。質の悪いドラッグでトリップした観客が暴徒と化し、黒人少年が刺され、もみくちゃにされ死亡した。こうして、輝けるヒッピーの時代は奈落の底に落ちた。ドラッグ、ロック音楽、フリー・セックスの功罪を一身に背負わされたヒッピーたちは、大きな分岐点に立たされた。

 翌70年、狂乱の流行熱はあっという間に醒めた。浮かれていた多くの似非(えせ)ヒッピーたちが社会復帰するいっぽう、ヒッピー哲学を信条とするコアな若者たちは田舎へ活路を見出した。ビートルズのインド傾倒も一因する。田舎へいこう。自然に帰れ。当時、彼らの信念を支えていたもののひとつに、ヘンリー・D・ソローの『森の生活』がある。
 ソローは、1817年にアメリカ合衆国マサチューセッツ州コンコードに生まれた。いまから200年ほど前のことだ。周囲を多くの森と一面の草原に囲まれた自然豊かな土地柄に育ったソローは、12歳で自然主義者のアガシーズと出逢い、大自然の偉大な力を明確に認識する。ハーバード大学卒業後も大学に残り、執筆活動と講義に専念するが、28歳でそれまでの輝かしい経歴いっさいを捨ててしまう。そして、ウォールデン湖のほとりに独力で小屋を建て、自給自足のシンプルな暮らしをはじめる。2年と2か月。街に 戻ったソローは、その間の出来事を『森の生活』にまとめた。
 バリーがこの本を読んだかどうかは定かでないが、『森の生活』は自然派ヒッピーたちに、田舎暮らしにおける哲学とノウハウを授けた。彼らは新天地で、地に足の着いた人生と格闘していた。バリーは過去の42年間を袖にして、この戦いに加わる決心をする。遅れてきたヒッピーの誕生である。




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