写真-11  喜多方 明治以前の木造建築(41)

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写真-11 喜多方 明治以前の木造建築(41)


写真-12  村田地区、明治以前の古い木造建築の例(3)

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写真-12 村田地区、明治以前の古い木造建築の例(3)


写真-13   喜多方ラーメンの店舗が並ぶ中央通り

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写真-13 喜多方ラーメンの店舗が並ぶ中央通り


写真-14 村田地区、建物の修景事例 (上:1993 下:2005)

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写真-14 村田地区、建物の修景事例 (上:1993 下:2005)


写真-15 奈良県大宇陀郡大宇陀 長屋を改築したCafeの事例 (上:外観 下:内部の様子)

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写真-15 奈良県大宇陀郡大宇陀 長屋を改築したCafeの事例 (上:外観 下:内部の様子)


写真-16 鳥取県日野郡日野町板井原 この町に住み、民家を改築しCafeを経営する事例

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写真-16 鳥取県日野郡日野町板井原 この町に住み、民家を改築しCafeを経営する事例


写真-17 三春 蔵を利用した人形館

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写真-17 三春 蔵を利用した人形館


写真-18 岡山県真庭郡勝山町の暖簾を活用したまちづくりの事例 (上:勝山のまちなみ 下:暖簾の例)

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写真-18 岡山県真庭郡勝山町の暖簾を活用したまちづくりの事例 (上:勝山のまちなみ 下:暖簾の例)

5.両地区の街並みにおける変容の特性と課題 〜まとめ

1)両地区の変容のまとめ
(1)喜多方の特性
喜多方における1979年から2004年までの25年間の変化を見ると、82.9%の建物が残存しており、建物の滅失・建て替え等の変化の割合は少ないのに対し、用途の変化には著しいものがあり、実に全体の57.1%の敷地で何らかの用途変化がみられた。中でも町の経済活動が衰退した結果と考えられる、店舗から住居への変化や、店舗および住居の空き家・空地への変化が目立った。 一方、取り壊された建物の建築年代に着目すると、比較的古い建物は保存され、新しい建物の方が変化する割合が高いという注目すべき状況が把握された。(写真−11)また、街並みの特徴といえる蔵が全て残されていた点も注目に値する。

(2)村田の特性
村田における1993年から2004年までの11年間の変化を見ると、85.7%の建物が残存していて、滅失・建て替え等の変化の割合は少ない。また、建物の用途変化も進行はしているが、全体の15.5%にとどまっている。しかしながら、空地の増加や建物の滅失は確実に進行しており、特に空地については、通りに面した部分が駐車スペースとなり街並みの連続性が失われるケースが目立った。また、建物の用途変化の9割が店舗から住居への変化や、店舗や住居の空き家・空地への変化となっており、街並みの衰退を示すものと考えられた。
取り壊された建物の建築年代に着目すると、明治以前の古い木造建築が多く失われている傾向が注目される。(写真−12)一方で、街の特徴といえる蔵については、1軒が失われるにとどまっていた。

(3)両地区の比較から読みとれる変容の意味
a)建物の残存度と用途変化
建物の残存度(前回調査との比較)においては、喜多方・村田ともほぼ同様の数値を得ることができた。すなわち、いずれも8割を超える建物が残っていたのであるが、25年と11年という経過時間の差を考慮すると、数値で若干下回った喜多方の方が、むしろ非常に残りがよかったと評価できるだろう。
一方、用途の変化については、喜多方の57.1%に対して村田は15.5%にとどまり、大きな差がみられた。この数値の開きは当然ながら経過時間の長短を反映したものと考えられるだろう。ただし、変化の内容は共通していて、経済活動の衰退を示すと思われる変化が用途変化全体の72.2%(喜多方)、90.0%(村田)と、いずれも高い割合を占めていた。
これに対し、積極的な用途変化と見なせるものは、喜多方で全敷地の11.9%(用途変化全体の20.8%)に見られたのに対し、村田では全敷地の1.6%(用途変化全体の10.0%)にすぎなかった。この事実は、喜多方の方が多少なりとも地域の活性化につながる動きが活発であることを示している。喜多方はで、対象敷地数が村田の三分の一程度しかないにもかかわらず、ギャラリーや町づくり寄り合い所など、まちづくりにつながる施設が2つできている(村田では『やましょう記念館』の1箇所のみ)。また、住居が店舗や事務所に変化した例も2例あり(村田は1例)、空地に住宅が建った例も1例存在する(村田は0)。これらの変化は多くの街並みが衰退していく際にたどるものと逆であり、街並みの維持に対してプラスの効果があると考えられる。喜多方に村田よりも積極的な用途変化がみられた要因の一つとしては、おそらく同じ喜多方の「中央通り地区」の存在が大きいであろう。喜多方は昭和40年代から蔵の町として全国的に知られるようになり、加えてここ20年間でラーメン産業を活性化させ観光客誘致に一定の成功をおさめており、中央通り地区こそがその賑わいの中心地となっている。(写真−13)この影響で、街並みを目当てにした観光客が南町通り地区へも足を運ぶため、村田のような単独で存在しているような街並みよりも、潜在的に活性化を進めやすい素地があると理解できる。

b)建物の取り壊しと住民の意識
取り壊された建物の建築年代についてみると、喜多方では古い建物ほど残され、比較的新しい建物の方が取り壊される傾向にあるのに対し、村田では逆に明治時代の古い建物が集中的に壊されていることが判明した。通常であれば、何らかの意図が働かない限り古いものから順に朽ちて取り壊されていくのが自然であるから、村田の場合はそのように理解できる。なぜ喜多方が逆の傾向を示すのか俄かには判じ難いが、一因として、おそらくは早期に街並みが注目され、全国的な知名度を得たことが住民の意識に影響を与えたこともあげられよう。

取り壊された建物は、喜多方・村田とも共通して、ほとんどすべてが蔵造り以外の木造家屋であった。両地区の特徴である蔵造りの建物については、村田で1棟が失われたのみである。これは両地区における前回の調査以来、蔵が町の貴重な歴史的資産として意識されるようになった結果とも考えられる。実際、喜多方は蔵の町として観光客の誘致に一定の成果を上げてきており、南町通り地区も見学者が絶えない。また村田も『陶器市』の際にほぼすべての蔵を借りて会場として利用するなど、その価値はますます高まっている。(写真−14)しかしながら、このように蔵の価値が強く意識されるようになった一方で、両地区とも蔵以外の歴史的建造物の価値については認識が低いとみえ、取り壊しが進んでいる。特に明治期の木造家屋が多く取り壊された村田においては、その傾向が強いのではなかろうか。また、両地区とも通りに面した建物を取り壊して駐車スペースにする行為が見られ、街並みの連続性があちこちで失われてしまっている。蔵以外への関心が薄いことが、ここにも表れているようである。



2)両地区における今後の課題
今回の調査では、喜多方においては戦前に遡る歴史的建造物が25棟確認でき、このうち明治以前のものは江戸時代の2棟を含めて18棟存在した。村田でも、戦前に遡る歴史的建造物が39棟確認でき、このうち明治以前のものは江戸時代の4棟を含めて14棟確認できた。全棟数を考慮すれば、喜多方の方が高密度ではあるが、いずれも全国的に見れば非常に豊かな歴史的ストックを有する街並みだといえるだろう。特に両地区とも、蔵がよく残されていることは幸いである。
一方、両地区におけるここ十数年から二十数年の変化をみると、主として経済活動の衰退を示す用途変化が進行してきた点や、蔵以外の歴史的建造物が顧みられずに壊されてきた点など、共通する問題点も多く存在していることが今回の調査で判明した。
特に喜多方においては、建物の用途変更が広範囲にすすみ、空き家が全棟数の1割を越すまでになっている。村田でも、程度の差こそあれ、同様の傾向がみられる。こうした現状を考慮すると、両地区にとって伝統的な建物の新しい活用方法を模索することが、第一の課題であるといえるだろう。
また、特に村田において明治以前の古い木造建築がこの11年で多く失われたことは、蔵以外の歴史的建造物の価値に対する認識や、街並みとして連続することの景観上の重要性に対する認識が低いことを示している。この点を踏まえれば、まちづくりを進めるなかで蔵以外の歴史的建造物も積極的に評価し、その価値を共有する工夫を考えていくことも、今後の課題として重要であろう。
喜多方・村田の両地区は、いずれも近年、街並みの保存整備につながる取り組みが動き始めたという点でも共通している。喜多方では、これまで伝建制度・景観条例などに対し住民たちの抵抗感が強かったために、行政も保存・整備に対しては消極的であった。しかし、2004年7月に市民団体と東大都市デザイン研究室の協力により蔵造りの倉庫を改修した「町づくり寄り合い所」(調査番号38)が設立され、ここを拠点に学生たちも参加してまちづくり活動をすすめていることから、次第に街並みの保存・整備に対する意識は高まりつつある。村田においても、1993年の調査以降、地区内の蔵を利用した『陶器市』の開催や、空き家を手入れして公開した『やましょう記念館』(調査番号43)の開館など、蔵を観光目的に利用した町おこし活動が盛んになりつつある。これらの動向を追い風にして、上に述べた課題が解決されていくことを期待したい。(参考事例 写真−15〜18)



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