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3 手の形とその象徴的世界

アジアの演劇において手は多様で豊穣な意味づけをもっているが、それだけではもちろん十分に表現できるとは限らない。カタカリにおいてもムードラ(ハスタ)だけでは特別な意味をもたない。ムードラは、その手で何らかの動作を伴ってはじめて、意味をもつようになる。その動作をヴィニヨーガと呼ぶが、ムードラはアルファベットに相当し、ヴィニヨーガは単語にあたるという*12。またかつて蘆原英了は歌舞伎とバレエとを比較した文章で、「バレエ舞踊の動きがパであるに対し、歌舞伎舞踊の動きがジェストである」とした。ジェスト(gest)とは身振り、仕草、手真似で分解することはできない。そして「歌舞伎舞踊のジェスト・・・はあたかも表意文字にあたる。・・・一方が一つ一つ意味を持たない表音文字で連絡されるの対し、これらは一つ一つ意味を持った表意文字が連絡される。歌舞伎舞踊のジェストは、一つ一つが山を見る動きとか、泣く動きとか、それぞれ意味を持っている動きなのである」と述べたことがある*13。バレエをそれだけでは意味をもたない表音文字になぞらえて「パ」といったのである。こうした連続性のなかに手の発話性を見ることは、しかしながら、手の重要性を少しも否定はしない。むしろ動きのなかでこそ、手ははじめて生命力をもつようになるのである。アジアの演劇においては身体は舞踊を通じて聖なるものと合一化していく。それは内なる世界と外なる自然のエネルギーと一体化していくことでもある。
手がアジアの演劇的世界で果たす重要な役割は、その象徴性にあるといってもよい。その手がかりとして、本稿ではインドのカタカリやバリ舞踊、中国の京劇を例として考えてきた。これらの演劇、舞踊は、アジアにおける手の位置づけの重要性を示唆している。それは、欧米のように手を単なる指示的な記号、標識として展開させてきたのではなく、手とわれわれの精神性とのつながりを求め、「手の思想」をそこに顕在化させているからにほかならない。手の形がつくりだす世界の多様性を認め、「手によって考え、手によって話す」(レヴィ=ブリュール)われわれの心性を再認識することによって、現代の精緻に細分化された記号の氾濫(奇しくもそれは手の概念を忘却させた言語が生みだしたものであるが)から逃れる可能性を見いだせるかもしれない。
レヴィ=ブリュールは「人間の手は人間のこころと密接に結びつき、・・・・こころは手を通じて思想をとらえたのである」といっている。同様に、現代のジョージ・ドーチは『デザインの自然学』のなかで、「人間の手と心を形作った自然の基本的なパターン形成過程は、手と心が形作ろうとしているものは何であろうと、手と心が自然に忠実である時には、導き続けることができる」*14と述べている。われわれ人間がすべて、この手と五本の指とで世界と関わり合うかぎり、そこには文化的な個別性を越えた何らかの共通の感覚的な基盤があるのではないだろうか。手を合わせて合掌した手を開く動作は、カタカリをはじめとするアジアでは蓮の花を表し、西洋では「祈り」や「球体」の表現になる。蓮の花といい、祈りといい、そこには二つの手を合わせ開く「手の形」に秘められた原初的な力と心の存在を指し示しているように思われるのである。


(注)
*1― ムドラーの図版は、G.Venu "Mudras in Kathakali: Notations of 373 Hand Gestures", Nataka Kairali, 1984より引用
*2― ムドラーの意味づけは、"The Mirror of Gesture : Being the Abhinaya Darpana of Nandikesvara", Harvard University Press,1917に基づく。
*3― レヴィ=ブリュル『未開社会の思惟(上)』岩波文庫、1953、p.203
*4― たとえば、レヴィ=ブリュールは次のような例を挙げて説明する。ブラジルのボロロ族では、自分たちはオウムだという。またメキシコのウイチョール族では麦と鹿とヒクリと呼ばれる聖木は同じものである。こうした例から彼は神秘的で前論理的な未開心性というものを想定したが、晩年には否定している。
*5― 岩田慶治『コスモスの思想』(『岩田慶治著作集6』)講談社、1995、pp.85-86 所収
*6― ムドラーは日本では仏教の印契、印相、手印と呼ばれる。その詳細については次の資料が詳しい。E. D. Saunders "Mudra: A Study of the Symbolic Gestures in Japanese Buddhist Sculpture", Princeton University Press, 1985
*7― インドの古典的舞踊の指南書である"Abhinaya Darpana"には、28のムドラーが挙げられている。("The Mirror of Gesture : Being the Abhinaya Darpana of Nandikesvara", Harvard University Press, 1917, p.25)
*8― K.Bharata Iyer "Kathakali:The Sacred Dance-Drama of Malabar", Oriental Books Reprint Corporation,New Delhli, 1983, p.59 (originally published in 1955)
*9― 前掲書(1)、p.139
*10― Ghulam-Sarwar Yousof "Dictionary of Traditional South-east Asia Theatre", Oxford University Press, 1994, p.109
*11― 宮尾慈良『アジア舞踊の人類学』PARCO出版局、1987、p.136
*12― 大谷紀美子「舞踏における身体運動の構造化-バラタ・ナーティヤムを事例として-」(『岩波講座 日本の音楽・アジアの音楽』第5巻)岩波書店、1989、p.261
*13― 郡司正勝「舞踊論」(『郡司正勝柵定集第三巻』)白水社、1991、pp.33-34 所収
*14― ジョージ・ドーチ『デザインの自然学』青土社、1994、p.147


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